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2010年12月16日 00:28
前回「ノルウェイの森」のことを書いたらどうもあっちこっちにリンクを張られたようで、アクセス数の多さに関心のほどがうかがえました。
観に行こうかと思うんだけど、どうなの実際?と、いち早く観に行ったブロガーの情報に手当たり次第にすがった人が多かったということなのでしょう。
なのにいきなり「ダメ映画だよ」「セックスしかしてないよ」みたいなことが書いてあるのを読んでしまい、何だ、だったらやめとこうと思われた方には、「あなたが原作を読んだ人ならぜひ観ておいたほうがいい」と言いたいです。
観終わった直後ににいさんとも話したんですが、映画の愉しみというのは「出来のいい映画だったからマル、クソ映画だったからバツ」で終わるというものではなく、観たもの同士でいかに楽しく語らえるかというところにもそれなりの比重があるよなと。
その点でいくとこの「ノルウェイの森」はかなりポイントが高いと言わざるを得ません。観に行って数日経ちますがいまだに我が家では話題にのぼってしまうし、何より亀更新の私がこんな短いサイクルの間にいそいそ出てくるという事実がすべてを物語っているではありませんか。
ところで「セックスばっかりしている映画」と聞いて、逆に「つまらない映画でもエロシーンがあるなら観に行ってもいいかな」と口許をだらしなくゆるめてしまったあなたには、
「やめておけ。」
ときっぱり言っておきます。
この「ノルウェイの森」がどうして失敗映画になってしまったかという大きな要因のひとつが、まったくもって信じられないことなんですけど、「女の子が誰も乳首を見せていない」ということなのでした。
直子役の菊地凛子さんは100パーセント脱いでいるものとばかり思ったら、ワタナベ君とのセックスシーンでも裸になっていないのです。どうしているかというと、ぶっさいくなベージュのスポーツブラみたいなのをしたまま乳を揉まれてあんあん言っているという。興醒めなこと山のごとしです。
いやいやこれはきっと、凛子の乳首出しシーンを後半まで大事に大事に取っておいて、ついに見せた途端、映画的にも「さあここからが本気だよー」となるに違いないと思い、ひたすら待っていたのですが、片方の乳首はおろか、乳首の欠片さえも見せることなく菊地さんはあの世に旅立っていかれたのでした。
これには私もワタナベ君同様、荒れ狂う冬の海に向かって叫びだしそうになりました。ちょちょちょちょ、ちょっと待て!と。わずかひとつの乳首も出さずに「ノルウェイの森」が成り立つとでも思ったか?
まあこれはおそらく乳首出しシーンの有無いかんで、公開できる年齢層が絞られてしまうからとか、大人の計算があったのでしょうけど、そんなちんけな欲を出したせいで映画「ノルウェイの森」は実にわけのわからないポジションに甘んじることになってしまいました。5年も経てば作られたことすら忘れられてしまうのではないでしょうか。
乳首乳首と大騒ぎしたところで、気を取り直して前回スルーしたキャストの話を。
先に言っておきますが、単なるけちょんけちょんの言いたい放題です。でも観た者にそんな風に熱く語らせてしまうという事実を私が高く評価していることは何度でも強調しておきます。キムタクの古代進について何も語りたいとは思わないもん、私……。
んじゃーいきますよ。
◯ 永沢
美しいですね玉鉄。でも永沢じゃありません。
とにかく「ああー、わかってないなーーー」と一番頭を抱えたのがこのキャスティング。
原作を読んだ方に確認したいところですが、みなさん永沢のことを甘いマスクの美青年と思って読み進めてました?
「鴻上尚史」あたりのルックスを思い浮かべていた私は少数派なんでしょうか。
でも断言しますが、真の鬼畜というのは絵に描いたようなハンサム野郎などでは絶対になく、丸顔でどしっとして、一見人が良さそうなおっさんタイプであるものなのです。
永沢に玉鉄をもってくるというのは、これはむしろ男性目線による妄想キャスティングだったのではないかという気がします。
◯ 緑
緑を演じたあの方はモデルさんであるらしく、棒っきれのような身体にレトロな衣装がさすがによくお似合いで可愛いのですが、いかんせん表情が2種類ほどしかなく、登場するシーンで彼女は9割方「上目遣いで口角をきゅっと上げて」いるのでした。
なおかつ話し方も完全に平成の女の子のそれであるのが決定的にまずかった。「ニェ〜(ねえ)ワタナベクン」みたいな感じでニャンニャンニャンニャン喋るのですが、江戸っ子気質で気の強い緑のイメージとはあまりにかけ離れています。これはまあ演出した側の責任でもあると思うのですが、とりわけ最後の
「あなた、今どこにいるの?」
というセリフ。これは直子が死んだショックで、魂が半分あちら側の世界に行ってしまったワタナベ君を一気に「生」の世界に引き戻す極めて重要なシーンなのですが、ここでもこのフレッシュな緑ちゃんは
「ニェ〜ワタナベクン、今どこにいるニョ〜?」
と、ギャルの世間話であるかのように言ってのけたのです。このシーンを見るに及んで、私ははっきりと「負け」を確信したのでした。
◯ ハツミさん
にいさんに言わせると、かなりイメージに近かったそうです。私はちょっとキレイすぎるかなと思いました。
キレイすぎるというか、ハツミさんは「おかあさん」っぽい風情を漂わす女の子というイメージがあって、そこの部分で物足りなかったかなと。いますよね、若くても妙に「おかあさん」なお嬢さん。
恋人の永沢に向かって「もうっ、世話のやける人ね」と言ってみせるシーンがあるんですけど、おっかさん的風情に決定的に欠けた彼女が言ってもどこか取ってつけたようで、こなしきれていない印象が残りました。でも演技は上手なひとだったので、もっと見せ場を作ってあげればよかったのになと思います。
◯ レイコさん
まったくの勘違いキャスティングという意味では玉鉄の永沢といい勝負。
レイコさんはもっと「NPO主催」めいた、ぱっと見には色気もへちまもないような中性的なひとであるべきで、だからこそ最後のワタナベ君との一夜限りのまぐわい場面にも味わいが生じるわけです。
映画のレイコさんはヘンに女女しており、また中途半端に「原作に忠実」たろうとした演出のせいもあって、問題のそのシーンはあたかも彼女が、「あちらの方がとんとご無沙汰なので目の前にいる若い男の子の肉体が欲しくなった」かのようにしか見えない、唐突かつお粗末なシーンに成り下がってしまっています。あれならいっそ、そのエピソードごとごっそり切り捨てた方が100倍ましでした。
◯ ワタナベ
意外なことにこれはよかった。特定の誰である、という印象がまるでなく、「ノルウェイの森のワタナベ君」にしか見えませんでした。ワタナベ君っていうかずばりハルキにくりそつ。
そしてハルキっぽいセリフも実にそれらしく、うまくこなしています。緑ちゃんの「ニェ〜ワタナベクン」と並ぶとそれがなおのこと光りました。
観に行こうかと思うんだけど、どうなの実際?と、いち早く観に行ったブロガーの情報に手当たり次第にすがった人が多かったということなのでしょう。
なのにいきなり「ダメ映画だよ」「セックスしかしてないよ」みたいなことが書いてあるのを読んでしまい、何だ、だったらやめとこうと思われた方には、「あなたが原作を読んだ人ならぜひ観ておいたほうがいい」と言いたいです。
観終わった直後ににいさんとも話したんですが、映画の愉しみというのは「出来のいい映画だったからマル、クソ映画だったからバツ」で終わるというものではなく、観たもの同士でいかに楽しく語らえるかというところにもそれなりの比重があるよなと。
その点でいくとこの「ノルウェイの森」はかなりポイントが高いと言わざるを得ません。観に行って数日経ちますがいまだに我が家では話題にのぼってしまうし、何より亀更新の私がこんな短いサイクルの間にいそいそ出てくるという事実がすべてを物語っているではありませんか。
ところで「セックスばっかりしている映画」と聞いて、逆に「つまらない映画でもエロシーンがあるなら観に行ってもいいかな」と口許をだらしなくゆるめてしまったあなたには、
「やめておけ。」
ときっぱり言っておきます。
この「ノルウェイの森」がどうして失敗映画になってしまったかという大きな要因のひとつが、まったくもって信じられないことなんですけど、「女の子が誰も乳首を見せていない」ということなのでした。
直子役の菊地凛子さんは100パーセント脱いでいるものとばかり思ったら、ワタナベ君とのセックスシーンでも裸になっていないのです。どうしているかというと、ぶっさいくなベージュのスポーツブラみたいなのをしたまま乳を揉まれてあんあん言っているという。興醒めなこと山のごとしです。
いやいやこれはきっと、凛子の乳首出しシーンを後半まで大事に大事に取っておいて、ついに見せた途端、映画的にも「さあここからが本気だよー」となるに違いないと思い、ひたすら待っていたのですが、片方の乳首はおろか、乳首の欠片さえも見せることなく菊地さんはあの世に旅立っていかれたのでした。
これには私もワタナベ君同様、荒れ狂う冬の海に向かって叫びだしそうになりました。ちょちょちょちょ、ちょっと待て!と。わずかひとつの乳首も出さずに「ノルウェイの森」が成り立つとでも思ったか?
まあこれはおそらく乳首出しシーンの有無いかんで、公開できる年齢層が絞られてしまうからとか、大人の計算があったのでしょうけど、そんなちんけな欲を出したせいで映画「ノルウェイの森」は実にわけのわからないポジションに甘んじることになってしまいました。5年も経てば作られたことすら忘れられてしまうのではないでしょうか。
乳首乳首と大騒ぎしたところで、気を取り直して前回スルーしたキャストの話を。
先に言っておきますが、単なるけちょんけちょんの言いたい放題です。でも観た者にそんな風に熱く語らせてしまうという事実を私が高く評価していることは何度でも強調しておきます。キムタクの古代進について何も語りたいとは思わないもん、私……。
んじゃーいきますよ。
◯ 永沢
美しいですね玉鉄。でも永沢じゃありません。
とにかく「ああー、わかってないなーーー」と一番頭を抱えたのがこのキャスティング。
原作を読んだ方に確認したいところですが、みなさん永沢のことを甘いマスクの美青年と思って読み進めてました?
「鴻上尚史」あたりのルックスを思い浮かべていた私は少数派なんでしょうか。
でも断言しますが、真の鬼畜というのは絵に描いたようなハンサム野郎などでは絶対になく、丸顔でどしっとして、一見人が良さそうなおっさんタイプであるものなのです。
永沢に玉鉄をもってくるというのは、これはむしろ男性目線による妄想キャスティングだったのではないかという気がします。
◯ 緑
緑を演じたあの方はモデルさんであるらしく、棒っきれのような身体にレトロな衣装がさすがによくお似合いで可愛いのですが、いかんせん表情が2種類ほどしかなく、登場するシーンで彼女は9割方「上目遣いで口角をきゅっと上げて」いるのでした。
なおかつ話し方も完全に平成の女の子のそれであるのが決定的にまずかった。「ニェ〜(ねえ)ワタナベクン」みたいな感じでニャンニャンニャンニャン喋るのですが、江戸っ子気質で気の強い緑のイメージとはあまりにかけ離れています。これはまあ演出した側の責任でもあると思うのですが、とりわけ最後の
「あなた、今どこにいるの?」
というセリフ。これは直子が死んだショックで、魂が半分あちら側の世界に行ってしまったワタナベ君を一気に「生」の世界に引き戻す極めて重要なシーンなのですが、ここでもこのフレッシュな緑ちゃんは
「ニェ〜ワタナベクン、今どこにいるニョ〜?」
と、ギャルの世間話であるかのように言ってのけたのです。このシーンを見るに及んで、私ははっきりと「負け」を確信したのでした。
◯ ハツミさん
にいさんに言わせると、かなりイメージに近かったそうです。私はちょっとキレイすぎるかなと思いました。
キレイすぎるというか、ハツミさんは「おかあさん」っぽい風情を漂わす女の子というイメージがあって、そこの部分で物足りなかったかなと。いますよね、若くても妙に「おかあさん」なお嬢さん。
恋人の永沢に向かって「もうっ、世話のやける人ね」と言ってみせるシーンがあるんですけど、おっかさん的風情に決定的に欠けた彼女が言ってもどこか取ってつけたようで、こなしきれていない印象が残りました。でも演技は上手なひとだったので、もっと見せ場を作ってあげればよかったのになと思います。
◯ レイコさん
まったくの勘違いキャスティングという意味では玉鉄の永沢といい勝負。
レイコさんはもっと「NPO主催」めいた、ぱっと見には色気もへちまもないような中性的なひとであるべきで、だからこそ最後のワタナベ君との一夜限りのまぐわい場面にも味わいが生じるわけです。
映画のレイコさんはヘンに女女しており、また中途半端に「原作に忠実」たろうとした演出のせいもあって、問題のそのシーンはあたかも彼女が、「あちらの方がとんとご無沙汰なので目の前にいる若い男の子の肉体が欲しくなった」かのようにしか見えない、唐突かつお粗末なシーンに成り下がってしまっています。あれならいっそ、そのエピソードごとごっそり切り捨てた方が100倍ましでした。
◯ ワタナベ
意外なことにこれはよかった。特定の誰である、という印象がまるでなく、「ノルウェイの森のワタナベ君」にしか見えませんでした。ワタナベ君っていうかずばりハルキにくりそつ。
そしてハルキっぽいセリフも実にそれらしく、うまくこなしています。緑ちゃんの「ニェ〜ワタナベクン」と並ぶとそれがなおのこと光りました。
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